気持ち悪がられても困るし(笑)、毎日こうするわけにもいかないので
やっていませんが、今日はします。
ほぼ日の「今日のダーリン」(毎日11時更新・履歴は見れず)のコピペ。

毎日、深呼吸したくなるようなことや、くすっと笑えることが書かれていて、
まぁ、たまには難しいこともありますが、いばってない感じ、排他的でない感じ、
楽しんでいる感じがわたしにはたまりません。

みんなが好きになることなんてものはないとは思っていますが、こういう、
優しくも強く、寛容な雰囲気は広まればいいなぁ、とひそかに思っています。

間違っても、弱さゆえに「よそをこうげきしてじぶんをたもつ」ということは
絶対にしない、ね。
あ、子どもじゃなくって、大人、と呼ばれる年齢の人たちのはなしです。


 ・おなじことを、
 いやだいやだと思いながらしている人と、
 うれしいなぁと思ってしている人とでは、
 まったくちがう場所に行き着きます。
 
 ブータンに行ったときに、
 小学校の見学をして、あらためてそう思いました。
 学校に通えることが、なにかを学べることが、
 おなじような年格好の子といられることが、
 先生がこっちを見ててくれることが、
 うれしくてしょうがないというふうに見えたのです。
 
 おそらく、ぼくの見たブータンの子どもたちは、
 学校に通って、学校でおぼえて、学校ですごすことで、
 じぶんのなかに湧いてくる「あたらしさ」が、
 笑っちゃうくらいうれしいんでしょうね。
 
・つまらなそうに学校に通う子どものことを対置して、
 教育や文明について嘆くようなつもりはないです。
 うれしそうにしている子のことを語れば、
 それで、ぼくの好きな景色が描けるからです。
 いいなぁ、と感じたことをじっとたのしく見ていれば、
 おそらく、見ている人の動きもそっちに向います。
 たぶん、ぼくの方法は、そういうものなんですね。

・絵画などの贋作の見分け方について、
 「硬貨くらいの面積をよく見ると、
  本物は、それがおおらかに描けている」
 ということを聞いたことがあります。
 贋作を見破るための修業は、とにかく本物を、
 本物ばかりをたくさん見続けることだと言います。
 真作と贋作を両方見てよく比べること‥‥じゃない。
 
・「いいなぁ」と思うことを、
 うれしくじっと見続けていること。
 そういうのがいいんだと、いつごろからか、
 ぼくは考えるようになっていました。
 そして、それは、知らないうちに「ほぼ日」の
 個性になってきていたような気がします。
 今日、その「ほぼ日」が13周年を迎えました。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
ぼくも「ほぼ日」に来ることがうれしい人のひとりです。


いくつになっても発見、成長、変化ってあると思います。
謙虚に、それを見つけたり、受けとめたりしたいものです。

と思った今日でした。